News19 難聴児A子さんの母と、母になったA子さんの娘たちとの物語



  A子さんの聞こえは現在右130dB、左75dB。小学4年と1年の二児の母親です。2歳のと

き難聴があることが判って、4歳のときから補聴器を使い始めました。お母さんは今の内に少しでも多

くの言葉を与えておこうと、抱っこしながら丁寧に話しかけ、沢山の本を読んでくれました。

 
 
幼稚園にとっては難聴の子供は扱いにくい存在で、一度は断られたのですが、社宅の皆さんが署名を

集めて助けて下さったおかげて入園がかないました。このことはお母さんが常々御近所の皆さんにA子

さんの聞こえが十分でないことを伝えていた成果と言うべく、御近所のお母さん達にはにはとても可愛

がって頂いた記憶があります。


 しかし、幼稚園ではお客さんでした。多くの子供達に混じって遊びたくでも会話が儘ならぬのでは致

し方ないことだったのでしょう。


 
小学校に入った途端に引っ越すことになりました。お母さんが引っ越し先の親御さん達に一生懸命働

きかけてくださったおかげで、聞こえないことを理由にイジメに遭うことはありませんでした。


 高学年になって千葉に引っ越しました。都心から周りが農家ばかりの所へ移ったのでは親も子も苦労

するのは目に見えています。しかし、トラックにはねられてしばらく学校を休むことになって、級友達

が見舞いに来てくれたのがキッカケでつきあいが滑らかに進むようになりました。


 中学に入って反抗期というのでしょうか事ごとに親に逆らう時期がありましたが、じっと支え抜いて

くれたお母さんに今も感謝しています。


 高校も高学年になって、将来は教師になって聞こえない子供達に教えたいという意欲が湧いてきまし

た。それで猛勉を始めたためか突発性難聴になって右耳が90dBまで悪くなりました。ステロイドの

投与とか神経ブロックの注射などで大変でしたが、勉強を止めてしばらく遊んだのが一番効いたようで

す。


 東京文化医学技術専門学校には情報補償の設備が何もなくて苦労しましたが無事に卒業できて国家試

験にも受かりました。手話は就職してからサークルに入って学びました。その間お母さんは要約筆記の

講習を受けていたというのですから大したものです。


  A子さんはそれまでは難聴者とつきあう気持ちはあまりなかったのですが、お母さんの強い勧めで東

京都中途失聴・難聴者協会に入って協会の行事に参加するようになって肩の力が抜けたようです。

 

 やがて結婚することになりました。相手は健聴者です。難聴の夫と健聴の妻の組み合わせはうまく行

くけれど、逆の場合は芳しくないと言われていたので不安があったことは確かです。難聴の子供が産ま

れたらどうしよう!という悩みもありました。


 とにかく妊娠し、大きなお腹を抱えて満員電車で通勤するのは本当に大変でした。お産の時は看護婦

さんが大きな紙に「次はこうして、ああして」と書いて見せてくれたのが助けになりました。

 

 赤ちゃんは1ケ月早く生まれてオッパイは出ないし黄疸はある。保育器の中のわが子を見つめながら

不安でいっぱいでした。病院の中で一番困ったのは院内放送が聞こえないことです。相部屋の人たちと

の視線を遮るためにカーテンを張り回しているのですが、自分の所だけは開け放しにして周りの様子か

ら自分が何をしたらよいのか判断するしかありませんでした。

 

 自宅に帰ってからは赤ちゃんの様子を知るために24時間補聴器を耳に付けた儘の生活になりまし

た。(佐藤注:これは私には想像もできません。どんなに辛かったでしょう。母親は途方もなく強い。

とてもかなわない)さすがに最初の内は週に一度はお母さんに来ていただいて補聴器を外して寝ました

し、その後は月に一〜二度は(赤ちゃんが泣いたときのアラーム役を)御主人に代わって貰うようにな

りました。

 
 
生まれた子供は女の子でした。アトピーがあってミルクは駄目、卵も駄目なので保育園からも一度は

断られています。会社に勤めながらでは知らない土地で近所の母親達との交流も思うに任せません。母

と子だけの毎日でした。


 やがて二番目を妊娠。折悪しく社内の仕事も替えられてストレスが溜まるばかり。とうとう会社を止

めて専業主婦となりました。3歳になったお姉ちゃんは保育園を止め、幼稚園にも入れない宙ぶらりん

の期間が半年あって、子供にとってもストレスが溜まったのは当然でしょう。24時間顔を合わせてい

る母親に言葉が通じない。下を向いたままボソボソ物を言う子になりました。

 

 「これではいけない」と思ったA子さんはしっかりお姉ちゃんを抱きしめて言い聞かせたそうです。

「お母さんは耳がよく聞こえない。それでもあなたの言うことはどんなことでも全部聞きたい。だから

あなたも必ず私の顔を見て、大きな声でしっかり話して頂戴。お母さんも一生懸命聞くから」


 それからは買い物の時などまたとない通訳になりました。下の子を何かと面倒見るお姉ちゃん。妹も

今では一切母親抜き、何でもお姉ちゃん頼りの甘えんぼになってしまいしました。

 

 二人を手話教室に連れて行って託児室に預けるのですが、その部屋には難聴の子供もいるので、お姉

ちゃんは何時しか手話を覚えてしまって楽しくやっています。これがキッカケになったのでしょうか、


稚園の母親仲間達が進んで手話教室に通うようになってくれたのは嬉しい驚きです。


 「あの子は難聴の母親に育てられたせいであんな具合になった」と世間に言われるようには絶対にな

りたくない。A子さんにはその意地があります。「現在の自分があるのはこの上なく賢明な母親があっ

たればこそ。その気持ちをこれから時間をかけてしっかりと娘達に伝えたい」A子さんはそのように結

びました。

 

 A子さんは正しくは谷園子(タニ・ソノコ)さん。[聴覚障害児と共に歩む会・トライアングル]本人

部のメンバーで、[社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会]の事務局に詰めてもいらっしゃいま

す。このお話しはこの2月26日(土)東京・芝の東京都障害者福祉会館で行われた都主催のコミニケ

ーション教室で「難聴の子育て」と題して話されたものです。佐藤がその要点をまとめました。

 

 このお話しに続いて全難聴青年部が行った「子育てアンケート」の内容の報告がありましたが、これ

は次回に書きましょう。

 

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