0710 人工内耳装用者の体験談を二つ




 9月25日、東京都中途失聴難聴者協会の例会として人工内耳の説明会がありました。台風接近の影響で果たして人が集まるかどうか心配しましたが満員の盛況で、最近のこの方面に関する関心の高さを思い知らされたことでした。

 東京医科大学助教授河野淳氏の「人工内耳最新事情」と題する講演の後、「僕はサイボーグ」の著者松山智氏と協会会員の小林順子氏の体験発表がありました。

 松山さんは3才の時風邪で聴力を失い、大学1年生のときに人工内耳をつけています。松山さんのお話でショックだったのは、手術を受けてから長いこと聞こえるようになったことを級友には言わずにいたということです。
 これは大学がろう教育に関して極めて進んだ感覚を持ち補償対策が万全である大学であるが故に(松山さんがこの大学を選んだのはそのためでもあるのですが)人工内耳をつけるということは逃避であり堕落であるとみなされるところがあったからです。

*佐藤注:「ろう」として生まれた人は「ろう者だけの世界」に生きようとする人が多数派です。中途失聴者が使う手話と「ろう者」が使う手話は別物です。その精緻さとスピードにおいて全く比較になりません。ですから「ろう者」は身体障害者と呼ばれることを嫌い、中途失聴者より遙かに高い位置に自分たちがいるという意識があります。そして独自の「ろう文化」の世界を作っています。彼等にとって人工内耳を埋め込んで聴者の世界に入ることは堕落に他ならないのです。ユダヤ人社会におけるゲットーのようなものでしょうか。

 今では健聴者との会話を楽しみ、サイレントだった時代のブランクをどう取り返すべきか工夫している最中だと言います。通勤の途中はわざとスイッチを切って昔懐かしいサイレントの世界を楽しんでいる…というところで私もハタと膝を打ちました。
私も一日中補聴器を使い放しにすることはありません。努めて補聴器無しの世界に身を委ねると言うことを日常励行しているからです。

 小林順子さんは聴力を失って(両耳とも110dB)から25年、4年前に検査を受けて手術の順番が回ってくるまで2年かかりました。
 マンション住まいをしているので住人とすれ違う度に会釈を交わしますが、その都度何らかの言葉を伴うものであることは耳が聞こえるようになってから気がついたと言います。
 今の世の中は聞こえることが前提になっている世界であることを(聴力が戻ってから改めて)知ったと松山さんと全く同じことを言われました。
 
 人工内耳も完璧というわけではありません。稀には失敗もあります。手術そのものは全身麻酔の内に終わるので痛くも痒くもありませんが、数ヶ月から1年くらい、物の味がよく判らないとか顔面に痺れを感じるとか、頭の中に異物があるという違和感の悩まされることがあるのは確かです。
 でも、それらのことも予め正確に説明されているので心の準備ができています。そうした副作用めいたものが尾を引くとしても音があるということは何物にも代え難い喜びです。お二人とも家族と話ができるだけでも幸せだと言います。

 ですから、人工内耳にするかしないかどうか相談を受けると「迷うことはない、すぐやりなさい」と勧めるのです。でも、病院に行って「残存聴力があるので人工内耳をつける資格がない」とか「蝸牛殻の構造が電極の埋め込みに合っていない」とかの理由でスゴスゴと戻ってくる友人たちの姿を見るに忍びない。小林さんは心から悲しそうな表情をされました。

 質問の中で印象深かったのは1年3ケ月の難聴児を持つ父親、そして音楽を生き甲斐とする御婦人からのものでした。難聴とは何か?人工内耳とはどういうものか?少しでも聞き囓った人なら容易に答えられる質問でしたが、それでも専門医の口から前向きの答えが聞きたいという気持ちが伝わってきて襟を正したことでした。

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