0708 日米で何故人工内耳ができないか



 人工内耳はオーストラリアで生まれました。あれから随分年数が立つのにアメリカや日本では音沙汰もない。どこかでより優れたものを開発中とのニュースも聞かない。何故でしょう?その答えが12月20日発刊になった「福祉工学の挑戦・伊福部達著・中公新書・740円+税」にありました。 アメリカではスタンフォード大学が豊富な資金と国際的に有名な人材を集めて精力的に研究を進めていたのです。ところがメルボルン大学が一歩先んじていました。先んじたばかりではなくご存じコクレア社がこの結果を頂いて一気に商品にしました。

 スタンフォード大学では基礎研究が先、商品化は時期尚早であるという主張が強かったのですが、ここのところはメルボルン大とコクレア社チームの強気が勝ちを制したということでしょう。賭けに出た感じすらあります。

 著者の伊福部達氏は日本で開発は不可能と見越してスタンフォード大学の研究に一年と時間を切って参加しています。ここでは有望なテーマにワッとたかって先陣争いをするようなことはしません。アイツがやっているなら俺は別の道で行く。そして、他人がやらないテーマで何かしら答えを出すと全員が拍手し激励してくれるのがアメリカ流なのですね。

  コクレア社が売り出して一年後著者がスタンフォード大学を訪れたら往年のプロジェクトチームは解散になって研究施設の跡形もなくて呆然としたとあります。学問の世界の競争意識の激しさとはこうしたものと知らされた私たちの方が呆然とします。

 他方日本はどうだったか。ここはこの本の一部を抜粋させて頂くのが早いようです。 「人工内耳の製作は技術的には我が国でも十分可能だったが、人体を傷つける恐れがある研究ということでついに受け入れられなかった。仮説の飛躍を認めにくい教育界や医学系学会の体質、研究のために患者をモルモットにした場合の責任と補償、ボランティア患者の制度、医療と福祉の棲み分けなど、我が国ではあまり問題視されていないことにも福祉機器の開発に当たっては十分議論すべきことである。」

 つまり日本では結果として残ることは何もやってない。「危うきに近寄らず」だったのです。私は[聴力改善への道/0506]で非常な危険の可能性を承知の上でメニエール氏症治療の手術を受けて運良く成功し月旅行の夢を果たした宇宙飛行士のことを書いています。同じことをやってくれと頼んでも「危ないから」と逃げた日本の医師団のことも書きました。

 スタンフォード大はメルボルン大に先を越されて研究を放り出してしまいましたが、この過程で進んでモルモットになってくれた患者が数多くあったのです。「結果はどうあっても医学の進歩のために協力できることが嬉しい」リスクを承知で協力してくれる人がいてこそ医師も力づけられ結果が期待できたのです。

 日本は「何か悪いことが起こったらどうしてくれる」という居直る国であり、それが怖いから医師のの腰も引けてしまう。それでいて他人が作れば「なんでこんなもの日本でも作れないのか」と責める。お互い様というしかないですね。悲しい国民性ですね。

 この本では悲しいことばかりではなくて多いに期待に持てることも書かれていました。それを紹介しましょう。

@一つは幼いときから人工内耳を使ってピアノやバイオリンを弾けるようになった例があります。これは実に素晴らしいニュースです。人工内耳の将来に期待できるニュースです。
A二つ目は「触知ボコーダ」と言って指先で音を感じる道具です。そそっかしい人は指で触ると耳で音として聞こえると思ったらしい。作り手と使い手の考え方のギャップの大きさに気がついて作り手がガックリきたようですが、そりゃそうでしょう。

 私は打楽器コンサートのところで「聴覚の不足を視覚で補う」意味を書きました。テレビの画面や文字は音ではないけれど音を補う力を持っています。脳がその働きをしています。ならば触覚が聴覚を補うことができるのに何の不思議もない。指で触って「何か」を感じつつ音を聞く。耳の性能が落ちている我々難聴者が「指で触れること」によって「何らかの形で」聞こえの補いがつくとすれば有難いことです。作り手がもう一度ヤル気を起こして我々がそれに協力できる体制が作れれば素晴らしいことですね。恩恵を被るのは我々なのですから。



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