0606 コツコツと専門医を紹介し続けること



 補聴器の販売店なら日本国中至る所にあるでしょうが、補聴器以外の様々な聞こえの援助機器を何時でも一通り試せる店と言えば東京都内では私は一店しか知りません。中央線中野駅から程近い(株)ワールドパイオニアという会社がそうです。社員全員が手話ができます。この中の補聴器部に何時しか「ニッコリ補聴器屋さん」という新たな看板が掲げられるようになりました。この店から私宛FAXが入りました。

北千住みみ・はな・のどクリニック」と業務提携のお知らせです。手話ができる医師が親身に補聴器の相談に乗ってくださるので御宣伝願います、とのことです。

 インターネットで検索してみますと「みみ・はな・のどクリニック」と言う名の医院は日本中に数カ所あります。チェーン組織になっているのか、あるいは何かしら共通の理念の元に判りやすい名を共用されているのかまでは知りませんが「北千住クリニック」に関しては「風邪が得意」とはっきりホームページに書かれているのに驚きました。


 風邪とは開業医が嫌がる病気です。私もこれまで無数と言えるくらい風邪を引き色んな医師のお世話になりましたが、応対の態度と処方の癖に医師としての性格が凝縮されているような感じを受けます。五日分の薬で首尾良く治れば良いけれど私の引く風邪はイジワルなのが多くて、向こうにも「困ったな。でも同じ薬を出すしか仕様がないなー」という態度がありありと見えるときなどこちらもやりきれない思いがします。だから「私は風邪が得意。何時でもいらっしゃい」と言いたげな医師にぶつかると「ほんとかい?」とビックリするのです。

  さて、すこし風邪の話をさせて下さい。
 私は昔インフルエンザにつかまって二度酷い目に会いました。一度は「香港カゼ」と言うの。二度目は「A東京57型」というウイルスによるものでした。一日中咳と血が混じる痰との闘いで体力を絞り切りました。ヘトヘトになりました。若かったから凌げたようなもので今の年なら痰が切れなくなって間違いなく肺炎になってアウトですね。


 これが怖くて一昨年はワクチンを打って貰いましたがこれがオーマチガイ。「これじゃ本番といくらも違いはないじゃないか」と言えるくらい辛い思いをしました。よって二度とワクチンは御免です。

 とは言え怖いものは怖い。それで毎日のウガイとか手洗いとか予防措置として勧められてることはマジメに続けているのですが東京都心というウイルスの巣で暮らしているとこんなこと気休めに過ぎませんね。つかまるときは捕まります。金曜日「引いたな」と感じた途端にホームドクターに直行して薬を貰い、土曜は会社を早引けして床につき、日曜は終日暖かく最高度に安静にしていても全然効果無し。「早期発見早期治療」とは風邪には関係ないようです。振り子のように行くところまで行かないと駄目なのか、マラソンの折り返し点のようにショートカットは×よ…なのか。

  インターネットで「風邪の治し方」などを検索すると野口晴哉(ノグチ・ハルチカ)氏の「風邪の効用」という名著が紹介されています。「聴力改善への道」でもお世話になった野口式整体道場の創始者が書かれた本です。昔丁寧に読んだものですが最近文庫になりましたので皆さんも一度は読んで見て下さい。病気とは何ぞ?思想書です、これは。

 年をとるとアチコチで@転ぶなA風邪引くなB義理を欠け、と聞かされます。野口先生は「風邪も引けなくなったら危ないよ」だから「風邪は上手に引きなさい」と勧めるのです。風邪を信号機と考えましょう。信号を見過ごすと大病が身近に迫っているのに気がつかず大事に至ります。

  私は「ああ、これは親父のことだな」と思いつつ読んでいました。私の父は風邪一つ引かない人でした。薬草に詳しくて縁側の天井に自分で集めてきたゲンノショウコとかセンブリなどを大量に陰干しにしていました。単に我慢強いだけで、どこか不調があっても自ら調合した薬草で抑えこんでいたに過ぎないのかも知れませんが、とにかく親父が弱音を吐いたり寝込んだりした姿を見た覚えがありません。
 その父が一人で赤穂などを見物に行って「楽しかった」後が「何となく体調がおかしい」と言い出したので「こりゃ一大事だ」と息子四人でおっとり囲んで医者に連れて行きました。なんと全身に癌が蔓延している。あと2ケ月の命だというのです。直ぐ大きな病院に入院させましたが手術も何も最早できることは何も無し。ソッとしたまま正確に2ケ月で息を引き取りました。

  直後に医師団が言うには「直ぐ解剖させて欲しい」と。X線写真で見るところ、これほど一面に進行する2ケ月前まで自覚症状がゼロだったのは何故だろう? そして最後まで苦しみらしい苦しみを全く見せなかったのは何故だろう?


 解剖の結果では肝臓だけが無傷でピンシャンしていたらしいのです。末期癌の苦しみとは肝臓から来るものらしいので、なるほどそうかと医師達も納得したようです。その意味では親父は大変ラッキーでした。

  親父の年を一つだけオーバーした今私は考えるのです。確かに親父は風邪も引けない人だった。だから癌の入り口にも気がつかず、気がついたときは手遅れ中の手遅れだった。ただ、この手遅れが彼にとって不幸なことだったかどうかは別問題だ…と。
 72才まで無病息災でいて、メスを当てられることもなく、パイプ一本繋がれるでもなく、モルヒネのお世話にもならず、「見舞いに来られるのは嫌だから身内にも昔の同僚にも知らせることはまかりならん」と意地を張り通して、痛いとも苦しいとも一言も口に出すことなく、たった2ケ月でこの世にオサラバした。


 あの後我々兄弟達で何度も同じことを語り合いました。親父の死に方は立派だった…と。あれぞ古武士だ…と。できるものなら俺もあんな風に死にたいものだ…と。

 

 世の中は矛盾に満ち満ちています。「カゼ引くな」も真理ならば「上手にカゼを引け」もこの上ない教訓なのでしょう。できるものなら風邪も引かずに親父のように見事に死にたいが、親父は丈夫な肝臓というDNAを倅達にも孫達にも残してくれましたが風邪対策までには手が回らなかったようです。

 私は生来ナマケモノなので「上手に引く」ことの勉強をさておき「風邪のことなら任せなさい」と言い切って下さる頼もしい先生を捕まえる方を先にしました。その意味で早速「北千住みみ・のど・はなクリニック」に偵察に行きました。手話ができて親身に補聴器の相談に乗ってくれる医師とはどんな人か…我々のホームページのためにも知りたかったこともあるし。
 そしてもう一つ、私の耳管を見事に通してくださる先生であるかどうか。鼻をつかんで息を吹き込んだときピーンと鼓膜が通るようになりたい。先生は「年も年だし難しいけれどやってみよう」とおっしゃって早速第一回の治療が始まりました。これから毎週通います。その結果はおいおい報告します。蛇足めいていますが、私が治療を目的で耳鼻科のお医者さんにかかるのは倉敷で縁を切られて以来、実に30年ぶりことです。

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