0602 何故このページを設けたか



  私の兄嫁の弟が私と年が同じです。一流大学を出て一流の企業に就職して海外の支社を委されて末頼もしい男でした。それが7年前に兄が死んでお通夜の席にヒョッコリ姿を現したのを見たら両耳に補聴器をしています。「一体どうしたの?」と聞いたら「イヤア、こんなことになっちゃって」と後は言葉を濁すのでそれ以上は敢えて聞きませんでした。

 あれから数年たってメイルを送って補聴器を使い始めたときの心境を聞いてみました。それに対する返事です。「肉体的なハンデを知られると会社での立場を失うことになりはしないかとそれが怖くて補聴器が使えなかった。しかし、コミニケーションギャップはどうしようもない。あらゆる無理をし続けて何が何でも補聴器はいるんだと腹を決めたときは定年が目の前に迫っていた」「聞こえなくなったことを隠さず、もっと早く補聴器を使い始めていればその後の生き方が随分違っていた筈。それが口惜しい」。

 私は「隠すのが最もよろしくない。潔く事実を認めて正面から障害と立ち向かうべき」と書いて大方の賛同を得ましたが、同時に一部の方からの激しい反発も招きました。私の考えであることは言うまでもありませんが、表現としては私の義理の兄弟の言葉をそのまま借りたものでした。
  相棒の森脇さんはある日突如として耳が聞こえなくなるという悲劇的な体験をしていますが、私は永い時間をかけてジワジワと難聴が進みました。初期には軽度難聴者であり、その後は中等度難聴者であり、やがて高度となって身体障害者手帳を貰うという経過を踏んでいます。「あなたは軽度・中度の難聴者の中途半端な苦しみを知らない」と書いて来られた方がおりますが飛んでもない、私は6級の手帳を貰うまで左耳20年、右耳を加えると34年かかっているのです。
 
 私は手帳を貰った年に東京都にいくつかあった難聴者団体の一つ「こだま友の会」に入りました。この会が発足当時は「軽度難聴友の会」と称していたことを昨年の全難聴京都大会の報告書で始めて知って驚きました。私が入ったときはストレプトマイシンによる副作用で補聴器を使えない人が何人もおりました。いわゆるストマイ難聴のことは概念としては承知していたのですが、具体的にどんな聞こえ具合になるかはおつきあいしてみて知らされたわけです。

 私の若い頃は結核は死亡率第一で、しかも簡単に感染する怖い病気でした。ストマイができて死なずに済むようになったのは目出度い限りですが、副作用として内耳がやられました。「こだま友の会」の会合の度に「耳が聞こえなくなることがこんなに辛いものと知っていたら結核で命をとられた方がまだましだった」という言葉を何度繰り返し聞かされたことでしょう。

 それと、私が当時既に携帯用の磁気ループシステムなどを作ってテストのために持ち込んだりしていたので、私を音響エンジニアと知ったストマイ派の皆さんが「何とか自分にも聞こえる補聴器を作って!」と責めるのです。まるで補聴器メーカーの代理人みたいにいじめられました。

 いじめられたというのは勿論冗談ですが、ストマイによる難聴は私のメニエール氏症候群と同じく内耳の事故なので補聴器は効かないのだ…ということを始めて知りましたし、そうかと言ってそれをあからさまに言えるような雰囲気ではとても無かったのです。それが辛くて1年足らずで会から逃げ出したようなものです。

 その後三鷹に転居し長崎に移り、また首都圏に戻って横浜市の難聴者協会に入るまで20年以上私は難聴者同士のつきあいは一切無しに過ごしてきました。


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