0408 村松友視氏の「あすへの話題・補聴器」



 ある新聞に掲載された作家の村松友視氏のエッセイです。大変心を打つ内容です。新聞名、日付共に切り抜きからは知ることができませんので、新聞社の承諾を得ることなく佐藤の責任で転載することにしました。

  補聴器をつけたものの、しばらくして止めてしまう人は多い。これは補聴器の性能といった問題ではなく、補聴器の本質と人間の耳の本質の折り合いがつかぬという理由のようだ。つまり、補聴器は全ての音を平等に拾うから、話をしている目の前の人の声、向こうの席の客、柱時計の音、そとを通る車、そして間断なく開閉するドアの軋みなど、あらゆる音が耳に伝わる。そのことに疲れて補聴器を外してしまう人が多いというのだ。

  そこへいくと、人間の耳は凄い才能があり、聴くべき音と聴く必要のない音をその時々に峻別してくれる。だから、話をしているとき気づかなかった騒音や柱時計の音が話が終わった途端に聞こえてくる。いくら性能の良い補聴器でもそうは行きませんからね、というのだ。
 ある老人にこの話しをすると、それは怠慢だという言葉が返ってきた。老人は「それじゃ、赤ん坊のレベルに至らないよ」と、次の話をしてくれた。

 赤ん坊は生まれて暫く音の洪水の中にいるに等しい。つまり、補聴器をつけたときと同じ状態だ。音の選択のできない赤ん坊は大変なエネルギーをもって音の洪水に耐えている。しかし、やがて赤ん坊は洪水のような音を選択し、母や父や他人の声、動物の声や車の音、雑音やテレビの音を聴き分けるようになる。そうやって音を取捨選択することを覚え、つまり成長してゆく。

  もし、補聴器が音を取捨選択しないからと言って放り出したら、それは赤ん坊以下のレベルだと老人は言い、耳から補聴器を外してヒラヒラさせて見せたのである。

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