0306 原因治療法共に不明とは殺生な



 私の絶望的な状態を知った長兄が家族諸共倉敷に呼んでくれました。二人の子供は当時幼稚園児でそれぞれに幼稚園で水をやっていたクロッカスの鉢を大事そうに抱て汽車に乗った昔を思い出します。倉敷には四年いて、岡山大学医学部に通って検査と治療を受けたのですが難物らしいな…とは雰囲気で判りました。

  たまたまアメリカのアポロ計画全盛の頃で、メニエール氏症患者だったシェパード中佐が月に着いたことが話題になりました。同氏は宇宙飛行士の訓練を受けている最中に発病してリタイアしたのです。メニエール氏症の主たる原因は当時は内耳のリンパ液の圧力異常とされていました。それでシェパード氏は脊髄と内耳をバイプで繋いでリンパ液の圧力のバランスをとるという離れ業のような手術を受けて見事に成功しました。その後実業界に転じてこの方面でも成功します。一段落したら今度こそ月に行きたくなりました。再志願し、訓練を受け直して鮮やかに夢を果たします。アメリカなるかな。目の覚めるような思いがしました。

 病院に行って私にも是非その手術をしてくれと口説いたのですが医師一同「飛んでもない。あんな物騒な手術は我々にはとてもできない」と手を振るばかりでした。

  結局岡山大学からは「原因治療法共に不明」という御託宣と共に放り出されました。当時納得がいかなかったのは「あなたのは耳鼻科の病気ではない」と言われたことです。メマイと耳鳴りと難聴と三拍子揃って耳鼻科の病気ではないと言われたら私はどこへ行けば良いのでしょう? 「判りません。とにかく耳鼻科ではありません」。

 兄は「お前は遊びをしないからそんな病気につかまるのだ。当分ゴルフでもやって神経を解きほぐせ」と、ゴルフ道具を与えて私を練習場に追いやりました。今思うに兄の判断はかなり核心に迫っていたようです。

 やがて且つては毎日新聞の外信部長をやってハノイの報道で天下を唸らせた大森実氏が岡山の企業家を集めての勉強会の講演に見えました。兄の代役として出席した私は大森氏も現役時代壮烈なメニエール氏症と闘っておられたことを知っています。

 氏のは自律神経の失調が主たる原因らしくて東京池袋の長峯先生が作られた注射液が発作を抑えるのに良く効いたとのことです。早速私も上京して診断を仰ぎました。とにかく試してみなさいということで300本の注射薬を受け取って帰ったのですが、残念ながら全部打ち終えても私の症状に変化はありませんでした。私の耳は自律神経失調が原因では無かったにしても顔色が良くなったとか元気そうだとか色々言われたところを見ると何かしら体全体への効き目はあったのでしょう。

 これから数年後のことになりますが東京吉祥寺の床鍋先生が書かれた本に「メニエール氏症候群と称している病気の実態は実は全て仮面性鬱病なのだ」とありました。仮面性鬱病とは精神面での症状は全然表面に出なくて胃とか心臓とか耳とか他の器官に症状が現れるものを言います。内科的には異常がなくて自覚症状だけなのですから診断を間違えることが多いのです。私は発病の時からの自分を冷静に振り返ってみて鬱病と言われることに何か納得できるようなものを感じました。幸い当時から鬱病には素晴らしく良く効く薬ができています。

 床鍋先生の診察を受けて「もう良い」と言われるまでこの薬を飲みましたが別に自覚できる答えは出ませんでした。先生の名誉のために書いておきますが、先生は耳鳴りを始めとする耳鼻科的な症状が治るとはおっしゃいませんでした。「自分には引き金になったのは仮面性鬱病であるように思われる。しかし、こう年数が立って症状が固定してしまうとこれを治すのは無理だね」と。

 手当が早けりゃ耳鳴りメイマも治ったかも知れないのです。でも、「かも知れなかった鬱病」がサッパリできるならそれで良し…としました。主たる原因が鬱病であるメニエール氏症候群もあるということを知ったのは一つの収穫でした。

  整体道場にも行きました。野口晴哉氏が開かれた整体法は今もすこぶる有名です。これは本来は自分の体の不調は自分で治す方法を教えるところであって治療してくれるわけではありません。しかし、お願いすれば指導の名目で愉気と言って気を送って不調を正すこと、体の歪みをあちこち捻って正すことの二つを施して下さいます。

 私の倅の(医師も治せなかった)リューマチ熱を愉気で救って頂いたし、元日でギックリ腰になって「何とか先生を紹介して」と転げ込んだ先のお弟子さん御夫婦が「その程度だったら私たちにも治せるから」と一回限りの施術で治して下さったこともあります。

 この道場はメインの萩野夫人は専ら愉気で、助手格の御亭主は手技を使われました。私は御亭主の受け持ちで、結果から言えば耳の障害は治らなかったのですが病気というものを根本から考える姿勢というべきものを諄々と教えて頂きました。

 「先生、何日くらいで治りますか?」セッカチに尋ねる私をジッと見つめられる。「あなたはこの病気になって何年になりますか?」「丁度10年です」「10年闘ってこられた貴方が何日で治すのか聞いてどうします」ドキッとしました。 「10年つきあった病気は10年かけて治す。それが病気治しの原則です」。目が覚めましたね。脳裏にしみついて離れません。

  最も効果があったのは鍼でした。児島という町に中国式の鍼の名人がいるよ、行ってみたら…とのお勧めで出かけたのですが、これは効きました。一日ごとにカレンダーをめくるように耳の聞こえが良くなるのが判ります。今でもあそこに通いきれなかったのが無念です。何しろ健康保険が使えません。頭のてっぺんから足の先まで鍼を打たれて一時間がかり、待ち時間を含めると半日潰れます。通いきれずに中断したのが本当に惜しかった。

  色々なことがあった挙げ句私は最後の治療法を求めて東京に出ることになりました。兄は何も言いませんでした。ただ「倉敷中央病院の耳鼻科長さんがメニエール氏症の権威だそうだ。東京に出る前に一度相談に行け」とだけ勧めてくれました。

 その先生の宣告を今も忘れません。「症状はメニエール氏症そのものです。しかし、私にはどうしてもメニエール氏症とは思えない。さればと言って、では何なのか?と問われても今の私には答えようがない」なんという正直な表現でしょうか。27才のとき秋田の佐野先生がおっしゃったのと全く同じことを言っておられる。治しては下さらなかったけれどこれこそ名医だと思いました。

 岡山大学では耳鼻科の病気ではないという言い方をされましたが、それだけ難しい病気なんだということですね。自律神経失調症だったかも知れないし仮面性鬱病だったかも知れない。去年突然顔にヘルペス(帯状疱疹)ができて幼い頃の水疱瘡などのウイルスがメニエール氏症候群を引き起こすこともあることを知りました。歯のかみ合わせが悪いのが耳の神経に異常を来すこともあることも知りました。

別の欄に書いたことですが、耳鼻咽喉科とは本来外科であって内耳とか聴神経のことを知っている医師は少数派なのだということを知ったのも今年になってからです。永年岡山大学のあの医師を「藪医者メ」と恨み続けてきたのは本当に悪かった。心からそう思っています。


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